旧ブログからの移転について
本ブログは、御統眞澄(みすまるますみ)が主宰する神道系同人サークル「しんめい舎」のものです。
しんめい舎は、2017年の一時期「忍者ツールズ」のブログサービスを利用し、旧ブログ「眞澄録」を運営していました。(URL: http://misumarumasumi.blog.shinobi.jp/)
しかし、多くのスパムコメント(スペイン語などによるもの)がついたことや、はてなブログが広く用いられていることなどを鑑み、この度「しんめい舎書庫」と題し、はてなブログへとブログを移転することとしました。
旧ブログは、様々な神道関連の出来事について短評を書くということを主眼にしていましたが、時あたかも卒業論文の執筆時期真っただ中であったため、「としょけっと」への参加告知をしたのみで沙汰やみとなってしまっていました。
今回ブログを移転し、再開したのは、そこまで大した理由によるものではないのですが(じきに出てきます)、今度は無理に意識を高く持たず、ゆるゆるとやっていければなと思っています。
ひとまず旧ブログの記事を転載しておきますが、改めていろいろ書いてまいります。
よろしくお願いいたします。
木村鷹太郎botについて
木村鷹太郎botの概要
2018年10月12日、木村鷹太郎botを公開しました。明治3年9月18日=1870年10月12日が木村鷹太郎の誕生日です。
twitter.com木村鷹太郎の発言や木村鷹太郎に対する他者の評価などを自動ツイートします。
有名な「新史学」時代だけではなく、『日本主義』時代や翻訳時代についても収録しています。
各ツイートの末尾に出典を付しています。略号は後掲。最後につく数字はページ数です。
引用に際し、表記は通用の字体・新字体としました。
現在から見れば(あるいは、当時から見ても)不適切と思われる表現がありますが、そのまま載せています。
木村の略伝、文献リストなど、これから拡充・追加します。botのツイート内容も増やしていく予定です。
先行研究としては『近代文学研究叢書』第33巻の「木村鷹太郎」(1970年)が最もバランスが取れています。
オンラインで読めるものとしてはbotにも収録した川崎宏「木村鷹太郎攷序」(1973年)があります。
先行ブログとしては「hitomodokiの寝言(別館)」の「木村鷹太郎 略歴・主要著作」(2010年)が詳しいです。
ご指摘や要望などありましたら、御統まで。
収録文章の略号と書誌(発行年順)2018/10/13現在
木村鷹太郎の著作より
排仏教:『道徳国家東亜問題上排仏教』1894年
耶蘇:『耶蘇教公認可否論』1899年
鳴潮:『鳴潮余沫』1900年
硯海:『明治文豪硯海録』1902年
建国:『増訂 大日本建国史』1908年
太古上:『世界的研究に基づける日本太古史 上』1912年
雄上、雄下:『日本民族祖先の雄図』1920年
アヹスタ:『アヹスタ経 下』1921年
星座:『星座と其神話』1923年
木村鷹太郎に対する批評・論考より
井上哲次郎「序」(木村鷹太郎『東洋倫理学史 上巻』1900年)
綱島梁川『梁川文集』1905年
安成貞雄「木村鷹太郎氏の心理」(『近代思想』1(12))1913年
井箆節三『日本主義』1926年
高橋龍雄「木村鷹太郎氏を弔ふ」(『國學院雑誌』37(12))1931年
川崎宏「木村鷹太郎攷序」(『英学史研究』1974(6))1973年
昆野伸幸「日本主義と皇国史観」(苅部直・黒住真・佐藤弘夫・末木文美士・田尻祐一郎編『日本思想史講座4 近代』ぺりかん社、2012年)
飯倉照平編『柳田国男南方熊楠往復書簡集』平凡社、1976年(2018/10/13追加)
【旧ブログ】としょけっと同人誌『神道と図書館』告知
※2017年11月6日、旧ブログ「眞澄録」に投稿したものです。
なお、この記事で指摘した誤記は、東京大学神社研究会会誌『千五百秋』第九号に掲載した増補改訂版「神道と図書館」において修正しました。しかし、ここに指摘していない間違いとして、としょけっと版p.2下段、増補改訂版p.32下段に「始めた数貴賓」とあり、これは「始め多数貴賓」の誤記です。申し訳ございません。(2018/10/8)
告知も「である調」だと何か疲れてしまうので、告知などの際には「ですます調」も使っていくようにします。今回は、初めての個人サークルでの同人活動のお知らせです。
明日11月7日から9日までの3日間、みなとみらいのパシフィコ横浜で開催される『図書館総合展』。図書館関係のありとあらゆる企業や個人が集まる図書館界のビッグサイトとでも呼ぶべきイベントですが、今年はその中の一ブースとして史上初、図書館関係の同人誌を集めた即売会「としょけっと」が開催されるとのことです(としょけっとについて知りたい方は公式サイトへ)。
詳しい参加理由は前のエントリに書きましたが、ともかく同人誌が何とか形にはなりました。
タイトル:
御統眞澄『神道と図書館』、しんめい舎、2017年
群青ぐらいの表紙を作ったつもりでしたが、いざ出力してみると「二級上」の神職さんの袴みたいな色合いになりました。
サイズ、ページ数、頒価:
B5、24p、200円
内容:
はじめに
図書館の神道
【図書祭】
神道の図書館
【神社文庫】
【神道の専門図書館】
【天理図書館と金光図書館】
【大学図書館と神道】
神道書誌の書誌
あとがき
大半は「図書祭(としょまつり)」の話です。計画を立てたときには図書祭のことは知らず、思わぬ結果となりました。代わりに元々書きたかった話は全く書いていません。また次の機会に。
研究というよりは資料集としての側面の方が強いかもしれません。資料集としては少なくとも面白いのではないでしょうか。「図書祭」とは何ぞや。日本図書館協会が図書を神として祀っていた、というと何となく気になりませんか?
さて、告知ついでにですが、さっそく正誤表を作りました。本文では「良書」「悪書」の話をしていますが、あやうく自分の同人誌も「悪書」になってしまうところです。
(他にもあればご指摘ください。追加いたします。西暦が縦になっていないとか【参考文献】がないところがあるとかはご愛嬌です。)
正誤表と補遺
*p.4
上段本文最左行
誤:「み拝みも薄か聞え奉とす」……
正:「み拝みも薄か聞え奉らむとす」……
表紙の図版と見比べていただくと分かりますが、「らむ」が落ちています。せっかくの史料引用なのにすみません。
*p.2、p.5、p.10など
1940年の第八回図書祭とその周辺について。冊子では「未調査」としましたが、結局日本図書館協会では開かれていないようで、『図書館雑誌』においても東京書籍商組合の図書祭に関する記事を引用するのみとなっています。
1940年11月の日本図書館協会のイベントとしては、むしろ「新文化運動 市民と読書の夕」があり、誌上でも特集が組まれています。宮城遥拝や「日本精神」への言及はありますが、神道祭祀がないという点では神道的要素はだいぶ減退していると言うことができます。
そして、全国についても『図書館雑誌』誌上での図書祭の紹介を見つけることはできません。むしろ紀元二千六百年関連の催しの方が見受けられます。
*p,12
中段右から二行目
誤:「『図書祭の精神』所引の文章で三上参次が」……
正:「『図書祭の精神』pp.20-21で編者が」……
三上参次の文章の後に編者のコメントが付いているため、誤認してしまいました。すみません。補訂版でコメント文を引きます。
*p.14
下段二段落目
誤:「その違いが現れた」
正:「その違いが表れた」
*p.21
中段中盤における南原繁への言及について。この書き方だとこれも図書館で営まれたようにも読めてしまいますが、戦後の慰霊祭が開かれたのは安田講堂です。
*p.21
誤:皇學館大學
正:皇學館大学
若木にある方に引っ張られてしまいました。ごめんなさい。
実は個人サークルとして活動するのは初めてということになりますが、 サークル名「しんめい舎」の由来については、追ってお話ししましょう。
【旧ブログ】図書館と同人誌
※2017年9月17日、旧ブログ「眞澄録」に投稿したものです。
前回の「緒言」で、「現代神道を考える」ための記事を書いていく、としたが、のっけから予定を変更することとした。
なぜならば、2017年11月7日から9日の間に開かれる「図書館総合展」において、「図書館をテーマにしたり、図書館関係者が作った同人誌などを委託」する同人誌即売会、「としょけっと」が急遽開催されることになったためである。
公式サイト:http://tosyoket.com/
ジャンルは「創作、評論、情報系同人誌(全年齢対象)」。そして、具体的には
A.図書館にかかわるオリジナル同人誌、グッズ(図書館が舞台、図書館をテーマにしているなど。同人誌は図書館という単語が1回でも記載されていれば可)
B.図書館関係者が作った同人誌(現役、経験者、学生、研究者、関わる企業に勤務など)
このような形で図書館と関係していれば委託できるようだ。
図書館という場での同人誌即売会は、おそらく初めての試みではないだろうか。
一方では図書館に関心を持ち、一方では同人文化に関わる人間として、これは見逃がせない流れだ。
まず、同人誌の蓄積は、ある時代を反映する歴史資料群として、いずれそれだけでも意味を持ってくるものである。それも商業出版という一つのハードルをくぐらない、より幅広い視点からの資料群ということになる。
そして、学術情報の流通という観点からも、同人誌という媒体の持つ可能性はもっと高められていってもよいのではないだろうか、と思う。同人活動を舞台に学術研究をされている方というのも評論島では特に見かけるが、あまり顧みられているとは思えない。
同人誌は通常の書籍流通に乗らず、またその多くが少部数であるがゆえに、非常に散逸しやすい代物であると言えるだろう。これまでも米沢嘉博記念図書館がコミックマーケットの見本誌を蓄積しているし(としょけっとの見本誌はどこかの図書館に入ったりするのだろうか)、国会図書館に納本されている同人誌も数あるが、今回のとしょけっとのように図書館と同人文化がさらに密接に結びつき、その繋がりが意識化されることで、図書館における、あるいは情報流通における同人文化の立ち位置というものが見直されていく第一歩となるのではないか。
そのような期待も込めて、ぜひこの記念すべき第一回目のとしょけっとに参加したいと思う(そういえば、昨年の図書館総合展では学生協働サミットが第一回目であった)。
内容はどうだろうか。図書館に関わる学生であるので何を出しても条件は満たすのだが、それでは面白くない。
先ほど述べた二つの側面からすれば、現代神道を表す現代の神道系同人誌を学術的に分析する、ということができると意義があるのだが、まだその任には早い。これから時間をかけて、それこそこのブログ上で準備していくべきものである。
そのため、としょけっとの噂を聞いたときに最初に思い浮かんだアイデアを実行に移したい。神道と図書館、というお題で同人誌を書くことである。
具体的には、近代を中心に神道、あるいは神社と図書館との関係の諸相を軽くまとめてみたい。
前々から書いてみたいと思っていたテーマとして、日本十進分類法に至る図書分類における「神道」そして「神祇」の問題がある。これをメインとして、並木軍平の皇道図書館、大学図書館と神道文献、神道に関わる専門図書館について述べ、最後に神道関係の書誌の書誌でも付ければ、ある程度「神道と図書館」について語ったことにはなるのではないだろうか。近代の展覧会と神道、に関する話題もどこかに入るだろう。
もちろん、図書館の自由に関する問題と神道関連の政治的トピック、であるとか、神道者の図書館観、など、他にも話題は思いつく。そもそもの神道系図書や雑誌の出版史であっても、これまで顧みられてきたとは言い難い。
だが、それはその後の課題とすることとして、まずはできる範囲で冊子を作っていきたいと思う。同人誌は出してこそ意味があるし、出さねば意味がないのだから。
なお、「現代神道を考える」についてもできる限り並行して進めていきたいとは思っている。
【旧ブログ】緒言
※2017年9月13日、旧ブログ「眞澄録」に投稿したものです。
現代神道の行方を考える。どのような形であれ、これをライフワークとしていきたいという思いを強くしている。
「現代神道」という観点から見たとき、2016年は非常に面白い年であった。
また改めて論考を深めたいと考えているが、昨年12月のコミックマーケット91で発行した東京大学神社研究会会誌『千五百秋 増刊第二号』にて、私は「独断と偏見で選ぶ、神道版2016年新語・流行語大賞」と称し、以下のような話題を取り上げた。括弧内は主に話題になった時期と、簡単な内容である。
- 「縄文的な力強い祝祭の場」(2015年12月、新国立競技場について)
- 「改憲署名」(2016年1月、神社における署名の呼びかけについて)
- 「巫女さんのくせに何だと思った」(2016年3月、大西議員の問題発言について)
- 「株式会社心」(2016年4月、企業における「敬神崇祖」について)
- 「熊本地震」(2016年4月、阿蘇神社について)
- 「日本会議」(2016年4月、「日本会議」論ブームについて)
- 「伊勢志摩サミット」(2016年5月、首脳陣の神宮参拝について)
- 「鎮守の森のプロジェクト」(2016年7月、現代神道における「森」について)
- 「神武天皇は実在の人物」(2016年7月、三原じゅん子議員の発言について)
- 「ヤシオリ作戦」(2016年7月、『シン・ゴジラ』について)
- 「生前退位」(2016年7月、今上天皇の退位報道について)
- 「日本の神道思想が反映されている」(2016年8月、ポケモンGOとイスラームについて)
- 「臨床宗教師」(2016年8月、神道との関わりを述べた論文について)
- 「ムスビ」(2016年8月、『君の名は。』について)
- 「装神少女まとい」(2016年10月、深夜アニメについて)
- 「賊軍合祀」(2016年10月、亀井議員らの靖国への申し入れについて)
- 「山・鉾・屋台行事」(2016年10月、無形文化遺産への登録について)
- 「賭博は持統天皇以来禁止」(2016年12月、共産党と天皇制について)
- 「神さまは金属アレルギー」(2016年12月、参拝マナーとスピリチュアリティについて)
それでは、今年も同じような記事を書くとしたらどのような内容となるだろうか。思いつくものを挙げてみよう。
- 「ソフィア稲荷」(2017年1月、上智大学内に発生した小祠について)
- 「神道の小学校」(2017年2月、森友学園系列の瑞穂の國記念小學院について)
- 「銀座恋神社」(2017年2月、検見川神社の分祀について)
- 「君のまなざし」(2017年5月、幸福の科学の映画について)
- 「贈与税」(2017年6月、三種の神器の継承が非課税とされたことについて)
- 「秋葉原神社」(2017年6月、平安教団の同施設が閉鎖されたことについて)
- 「神宿る島」(2017年7月、宗像・沖ノ島の世界遺産登録について)
- 「パンダ神職」(2017年7月、有鹿神社の神職について)
- 「繭気属性」(2017年9月、「あなたの神社属性診断」について)
- 「本庁離脱」(2017年9月、週刊ポストの報道について)
- 「社にほへと」(2017年9月、開発中止の正式発表について)
「改憲署名」「日本会議」「生前退位」といったような2016年の話題ともかかわりが深いことがわかるだろう。8月には『靖国神社が消える日』も刊行されており、「賊軍合祀」との関連も視野に入れてとらえていく必要がある。
今年もできればこれらを会誌の記事としてまとめていきたいところだが、卒論や院試もあるため早めに準備を行っていくのがよさそうである。そのため、このブログを用いて各論の記事を上げていき、できたものを印刷物にまとめたい。
2016年は、神社本庁の設立から70年という節目の年でもあった。神社本庁は、「敬神生活の綱領」「神社本庁憲章」を制定したとはいえ「無教義主義」を採用している。神社新報社『神道指令と戦後の神道』後半には、岸本英夫や葦津珍彦らの座談会記事が載っているが、ここに、〔記・紀の新約は考へられるか〕という節がある。葦津は、本庁はこの「新約」を作らずに各個人が新約を作れるような下地を作っておくべきだ、という趣旨のことを言っているが、現代はまさに様々な神道の「新約」が生み出されている時代なのではないだろうか。
神道における「新約」とは何か。それは究極の課題としてあり続けている。神道の定義を絞りすぎることなく、伝統に固執することなく、無下に否定を行うことなく、幅広く現代神道の世界を探っていきたい。
このブログでは今後、「現代神道を考える」と称して上記の出来事について短評を書いていく。取り上げる順番は適宜変わり、また、多くは論点の整理と問題の定期に留まるかと思う。というより、それすらもまともにできる力量があるか定かではない。お赦し願いたい。
他には、近代神道研究に関する覚書や、神道系同人誌のレビューなども適宜載せていく予定である。どうぞお付き合いください。